史跡 | 女坂 石の証文 | 児島大梅の句碑 | 本郷御番所跡 |
平田御番所跡 | 石塚峠の藩境印杭 | 牧庵鞭牛隠居屋敷跡 | |
石塚峠の七里塚 | 女坂の一里塚 | 定内の一里塚 | |
釜石鉱山田中製鐵所栗橋分工場跡 | |||
名勝 | 瀧澤神社奥の院と沢桧川 | ||
天然記念物 | 和山のシナノキ | 古里の御神楽スギ | 明神かつら |
峠のスギ | 外山のエゾエノキ | 女遊部トチノキ | |
上栗林のサクラ | 箱崎神社境内林 | 大沢川流域の古生界化石産出露頭群 |
めさか いしのしょうもん(せっしょうきんだんのひ) | ||||
女坂 石の証文(殺生禁断の碑) | ||||
市指定文化財 昭和53年11月28日指定 | ||||
享和2年(西暦1802年)、釜石村の豪商で肝いりの佐野忠兵衛が、嬉石山部落民の生活を助けるため、嬉石山と船揚場を永代無償で部落民に与えた。部落民は深くその恩恵に感謝し、毎年正月礼銭を贈ろうとしたが、忠兵衛は固辞し部落の人達が謝礼を表そうとする気持ちがあるなら、今後正月16日と盆の16日を殺生禁断の日と定め、一切の出漁を休み、生類を憐れみ功徳するようにさとした。部落民は喜んで子々孫々まできっと守らせると誓い、このことを碑に刻んだ。これが俗に石の証文といわれる由来である。 |
||||
このページTOPへ | ||||
|
||||
こじまたいばいのくひ |
|
|||
児島大梅の句碑 | ||||
市指定文化財 昭和53年11月28日指定 | ||||
江戸の俳人児島大梅が、山田の貫洞卓堂を訪ねる途中、大槌街道(和山街道)の芳形の茶屋で詠んだ句を、文政12年(西暦1829年)門弟卓堂、卓郎等によって師匠大梅来遊記念として建立されたもので、釜石地方で最も古い句碑であるとともに、この時代の中央文化人との交流を物語るものであり、また主街道の交通路変遷を知る貴重な資料でもある。 この街道は、通称和山街道とも呼ばれ、現在は廃道の状態で、芳形に若干の面影を残すだけである。 芳形は街道中最も難所とされた和山峠の頂上にあって、茶屋が二件ほどあり、今もその跡が残っている。 |
||||
このページTOPへ | ||||
|
||||
ほんごうごばんしょあと | ||||
本郷御番所跡 | ||||
市指定文化財 昭和53年11月28日指定 | ||||
この御境番所跡は、南部伊達両藩の境界が確定された後、伊達藩が南部藩領平田番所に対応してこの地に設置したものである。 |
||||
このページTOPへ | ||||
|
||||
へいたごばんしょあと | ||||
平田御番所跡 | ||||
市指定文化財 昭和53年11月28日指定 | ||||
番所には「御境番所と、領内要所に置く「物留番所」がある。平田から石塚峠を越えて本郷に通じる旧道は古い時代から浜街道と称して、沿岸を結ぶ重要な交通路であった。 この御境番所跡は、近世幕藩体制が成立する江戸初期、東北地方でしのぎをけずっていた南部、伊達両藩の境界が確定された後、南部藩において伊達領に通じるこの地に番所を設け、兵馬を常置して、通行人の取締りや、藩境の巡視警備にあたった。 |
||||
このページTOPへ | ||||
|
||||
いしづかとうげのはんきょういんこう | ||||
石塚峠の藩境印杭 | ||||
市指定文化財 昭和62年3月27日指定 | ||||
南部藩と伊達藩は藩境界が接していたことから、藩境紛争が絶えず、寛永19年(西暦1642年)絵図面と申合覚を交換、藩境の確定まで50年を要した。塚及び印杭による境界は、西は駒ヶ岳から東は太平洋の唐丹湾まで約130キロにおよんだ。 石塚峠は、南部領の浜街道を結ぶ藩境にあり、その藩境を示すため藩境塚と印杭があったが、印杭(跡)として現存するのは石塚峠だけである。 |
||||
このページTOPへ | ||||
|
||||
ぼくあんべんぎゅういんきょやしきあと | ||||
牧庵鞭牛隠居屋敷跡 | ||||
市指定文化財 平成元年4月27日指定 | ||||
鞭牛和尚は、宝暦5年(西暦1755年)46歳で林宗寺六世住職を辞して隠居し、人々の生活の障害を取り除くため、道づくりに生涯を捧げた稀世の禅僧である。 道路の開削や改修、架橋工事などその延長は400キロに及び、この隠居屋敷跡は鞭牛和尚が道づくりに生涯を捧げることを発願し、終焉した地である。 |
||||
このページTOPへ | ||||
|
||||
いしづかとうげのしちりづか | ||||
石塚峠の七里塚 | ||||
市指定文化財 平成7年3月30日指定 | ||||
この一里塚は、当時の仙台藩にあったため、通称七里塚と呼んでいる。塚のあった浜街道は、歴史的にも経済的にも重要な道路であった。保存状態はよく、全般的に構築当時の原型を保っていると思われる。饅頭型であり、東西2個が一対になっている。 |
||||
このページTOPへ | ||||
|
||||
めさかのいちりづか | ||||
女坂の一里塚 | ||||
市指定文化財 平成7年3月30日指定 | ||||
この一里塚は、釜石から平田、唐丹、仙台へ通じる浜街道の交通の要衝にある。この塚も保存状態がよく、構築当初の原型を保っていると思われる。東西2個が一対になっている。東塚の上にある松は、樹齢2百年以上を推定される。 |
||||
このページTOPへ | ||||
|
||||
さだないのいちりづか | ||||
定内の一里塚 | ||||
市指定文化財 平成7年3月30日指定 | ||||
この塚は、旧釜石街道沿いにあり、ほぼ構築当初の原型を留めており、付近には宿駅甲子町があり、江戸時代初期から町並みが整備されていた。「三閉伊道中図」にも記載されている。饅頭型で、南北2個が一対になっている。 |
||||
このページTOPへ | ||||
|
||||
かまいしこうざんたなかせいてつしょ くりはしぶんこうじょうあと |
||||
釜石鉱山田中製鐵所 栗橋分工場跡 |
現在 操業当時 |
|||
市指定文化財 平成25年12月24日指定 | ||||
栗橋分工場の高炉は、田中製鐵所で7番目に建設された高炉であり、明治25年に建設を始め、明治27年6月吹き入れを開始し、大正10年2月に休山した。他の高炉がコークスにより操業していたのに対し、唯一木炭高炉として操業していた。 釜石鉱山田中製鐵所の分工場として建設された栗橋分工場は、高炉1基(第7高炉)で操業していた。現在も遺構が残り当時の様子が伺える貴重な史跡である。 |
||||
このページTOPへ | ||||
たきさわじんじゃおくのいんとさわひがわ | ||
瀧澤神社奥の院と沢桧川 | ||
市指定文化財 平成19年3月29日指定 | ||
岩場から瀧澤神社奥の院を眺めると、自然により創り出された崖の上に奥の院がたたずみ、沢桧川の滝と川の蛇行により形状された淵状の景色は絶景である。 釜石の名勝として後世に残すべき景観である。 |
||
このページTOPへ | ||
わやまのしなのき | |||||||
和山のシナの木 | |||||||
市指定文化財 昭和44年8月22日指定 | |||||||
和山高原のシナの木(方言でマダノキともいう)は有用落葉樹で、樹勢豪壮にして周囲約5メートル、樹高約10メートル、樹齢約400年以上と推定され、シナの木としては、県内第一の巨木であるといわれる。 |
|||||||
このページTOPへ | |||||||
|
|||||||
ふるさとのおかぐらすぎ | |||||||
古里の御神楽スギ | |||||||
市指定文化財 昭和44年8月22日指定 | |||||||
このスギは、わが国に広く植林される常緑樹で、昔から御神楽スギといわれ、釜石地方の代表的な巨木で、周囲6メートル、樹高約30メートル、樹齢約400年以上と推定される。 |
|||||||
このページTOPへ | |||||||
|
|||||||
みょうじんかつら | |||||||
明神かつら | |||||||
市指定文化財 昭和48年2月27日指定 | |||||||
この「明神かつら」は古くから神木として崇められ祀られている。 かつらは他の樹種にくらべ、側枝や不定芽の発育が旺盛で、「明神かつら」の場合は、中心樹幹の周囲から多数の新条が萌発成長して「千本かつら」になったものである。 この成因は、中央の主幹が枯死、腐朽していますが、おそらく500年以上の巨木であったもので、周囲から伸長した側枝が林立して、枯損したものを加えると16本にもなる。 「明神かつら」は巨樹というだけでなく植物生態学上貴重な存在である。 |
|||||||
このページTOPへ | |||||||
|
|||||||
うのすみじんじゃのめおとくろべ | |||||||
鵜住神社の夫婦クロベ | |||||||
市指定文化財 昭和53年11月28日指定 | |||||||
クロベはヒノキ科に属し、この樹木は石鳥谷町のサカサヒバに次ぐ県下2番目の巨木である 鵜住神社は、元禄3年8月鵜住居村中にて勧請するとあり、当時樹齢5〜6年前後のものを神殿前に一対植栽したものと思われる。樹齢約300年前後と推定され、目通り直径は1.54mである。 |
|||||||
平成28年12月に指定を解除となる。 |
|||||||
このページTOPへ | |||||||
|
|||||||
そとやまのえぞえのき | |||||||
外山のエゾエノキ | |||||||
市指定文化財 昭和62年3月27日指定 | |||||||
当市では、本種で当該樹木を凌ぐ巨老木はない。 このエゾノキは樹皮灰色で主幹が地上約5mで直幹とやや斜上に二又し、数多くの大小枝をつけ、樹状は蕪状である。主幹には多くの縦に深い溝があり、ところどころに大樹瘤があり、積年の風雪に耐え生きのびた風格がある。 推定樹齢は約320年(昭和55年6月調査)目通樹周5.05m、根元周り5.65m、枝張り東西19m、南北28m、樹高約20mで地元では神木として崇拝されている。 |
|||||||
このページTOPへ | |||||||
|
|||||||
とうげのすぎ | |||||||
峠のスギ |
|
||||||
市指定文化財 平成16年1月27日指定 | |||||||
「古里の御神楽スギ」(昭和44年8月27日釜石市指定文化財)に次ぐ巨木で自然を記念するに相応しい樹木として貴重である。 尾崎白浜と佐須を結ぶ旧道の頂上に、樹齢400年ほどの巨木が道を挟んで2本ある。このスギは峠のスギと呼ばれ、根の部分に石が積まれている。 藩境のスギであると言う話もあるが、江戸時代は佐須は南部藩でこのスギが藩境であったとは考えられない。だが、それ以前に一時でも境になったかもしれない。 |
|||||||
このページTOPへ | |||||||
|
|||||||
かみくりばやしのさくら | |||||||
上栗林のサクラ | |||||||
市指定文化財 平成19年3月29日指定 | |||||||
本樹は、枝張りも良く樹勢すこぶる旺盛で、サクラとしては市内有数の巨樹で本樹を凌ぐ巨樹は発見されていない。1996年の計測では胸高幹周り約4.65mであったが、2006年の計測では約4.9mであった。ここ10年間で幹周りが0.25m伸びており、樹勢の良さを裏付けている。 栗林の三桜(通称「種蒔桜」)といわれ、古くから農事の目安にするなど人の生活に深く関わってきており、地域の景観の一部を担っている。 |
|||||||
このページTOPへ | |||||||
|
|||||||
はこざきじんじゃけいだいりん | |||||||
箱崎神社境内林 | |||||||
市指定文化財 平成23年2月24日指定 |
|||||||
箱崎神社境内林は、樹齢400年と推定されるアカマツを筆頭として、同等の樹齢と考えられるスギ、クロベ等を主とする社叢樹林である。 箱崎神社の社殿を中心としてぐるりと境内林が廻っており、アカマツ、スギ、カツラ、ケヤキ、クロベ等で目通り周3.5m以上の樹木が17本確認できる。 神聖な神社林であるためか、ほぼ手付かずのまま現存しており、いずれも枝張りがよく隆盛である。 |
|||||||
このページTOPへ | |||||||
|
|||||||
おなっぺのとちのき | |||||||
女遊部のトチノキ | |
||||||
市指定文化財 令和3年3月25日指定 | |||||||
現在、両石財産区内の山林にあり、周囲の木を伐採し植林地とする中で、古くから残されてきた巨老木である。 当市では、本種で当該樹木を凌ぐ巨老木は発見されておらず、大変貴重である。 |
|||||||
このページTOPへ | |||||||
|
|||||||
おおさわがわりゅういきのこせいかいかせきさんしゅつろとうぐん | |||||||
大沢川流域の古生界化石産出露頭群 |
千丈ヶ滝層露頭 栗林層露頭 小川層露頭 |
||||||
市指定文化財 令和6年3月27日指定 | |||||||
当地周辺の大沢川流域では古生代の化石を産出する露頭が所在している。大沢川流域の古生界化石産出露頭群は、古生代後期シルル紀からデボン紀の千丈ヶ滝層、古生代石炭紀の小川層、古生代ペルム紀の栗林層の3ヶ所の露頭で構成されている。 露頭の年代はそれぞれの層の一部の時代となるが、3つの露頭は直径約260mの範囲内に収まっており、約4億2300万年前から約2億5100万年前までの約1億7200万年程の間に断続的に形成され、現在地に至った。 3ヶ所の露頭で観察できる化石を概観すると、千丈ヶ滝頭では、古生代後期デボン紀の日本最古級の植物化石であるリンボクの化石等、小川層露頭では古生代石炭紀の四放サンゴの化石等、栗林層露頭では古生代ペルム紀のフズリナの化石等があげられる。 大沢川流域は、比較的狭い範囲で古生代の約1億7200万年の間に断続的に形成された千丈ヶ滝層・小川層・ 栗林層の露頭を観察することのできる大変貴重な場所である。 |
|||||||
このページTOPへ | |||||||
|