史跡探訪「戦後60年 釜石の戦跡めぐり」

平成17年12月4日(日)
10:00〜15:00



平田裕彌氏(前郷土資料館長)を講師に迎え、戦跡めぐりが開催されました。
当日は42名という多くの方にご参加をいただきました。



今回の史跡探訪では、甲子川流域に点在する戦跡と、戦後の釜石市民の平和祈念への思いを表す史跡を訪ねました。



●天洞捕虜収容所跡

JR大橋駅前
昭和18年に開設された天洞捕虜収容所は、現在の釜石鉱山(株)天洞工場に位置します。

当時は約350名の捕虜を収容し、約150名の外国人が労働していたと言われています。



●薬師公園〜観音寺
釜石市民病院の裏手にあたる薬師山の中腹には、戦時中「独立高射砲隊」が配置されていました。


昭和25年、岩手県知事より、戦災被害の大きかった釜石市に観音像が寄贈されました。
この観音像は「平和観音」として観音寺に迎えられました。

薬師公園
昭和27年には、釜石市が永遠の平和を祈念するシンボルとして薬師公園に「平和の女神像」を建立しました。


●釜石捕虜収容所跡〜日本中国永遠和平の像

日本中国永遠和平の像「飛翔」/佐藤忠良作
昭和18年に開設された釜石捕虜収容所は、現在の港町(須賀)に位置します。最大で約400名の捕虜を収容し、そのほとんどは釜石製鐵所での作業に従事しました。
2度の艦砲射撃では、28名の捕虜が亡くなりました。


また戦時中は、日本に強制連行された約300名の中国人が釜石鉱山で過酷な労働を強いられました。

日本中国永遠和平の像「飛翔」は、昭和48年の日中国交回復を契機に、釜石で亡くなった霊を慰めるとともに両国の永遠の平和を祈念し建立されました。


●武官府跡
武官府(ぶかんふ)は、東前町と新浜町の境にある旧海軍の弾薬庫跡です。

現在は岸壁が設置され道路もありますが、当時はこれらはなく、駐屯する兵士は船で往来したとみられています
一階内部は厚さ40センチメートルの壁で仕切られ、北側には鉄格子の窓が設置されています。

戦後に残った軍事施設跡としては、釜石唯一のものとみられています。

戦跡めぐりの後は、郷土資料館を見学し解散となりました。
「またこのような企画を」との声をたくさんいただきました。
ありがとうございました。





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