かまいし探訪
その3
義経北行伝説〜釜石編〜 中村判官堂・法冠神社
史実では、義経は平泉で自刃し生涯を終えたことになっていますが、「実は北へ逃げ延びたのではないか」とも言われています。
義経北行地図
(市町村名は2005年9月現在)
平泉を出発した義経は現在の江刺市→住田町→遠野市を抜け、釜石を通ったといわれています。釜石へは、現在の橋野町の笛吹峠から入ったという説と、その北側界木峠から入ったという説があります。
笛吹峠への地図 笛吹峠へのアクセス
釜石駅前から  車で約50分
鵜住居駅前から  車で約40分
遠野駅前から  車で約30分
中村判官堂[なかむらはんがんどう]
笛吹峠から東へ約15kmほど行くと、『中村判官堂』の看板が県道左手に見えます。そこから約200mほど山道を登っていくと平場に祠があります。これが中村判官堂です。
北行伝説では、義経が八幡家という家に宿泊した際に鉄扇と文書を残したとされています。その後、八幡家では判官堂を建立し、義経の石像を作り、一行の安泰を祈念したとされています。
中村判官神社
判官堂は元々、100mほど西の能舟木川と鵜住居川の合流点にあったそうですが、橋野小学校の分校を建設する際に現在の場所に移設されたとのことです。現在の場所は橋野舘と呼ばれる中世城郭跡で、室町時代頃に阿曽沼氏の家臣橋野氏が居住していたと伝えられています。
地図 中村判官堂へのアクセス
釜石駅前から  車で約35分
鵜住居駅前から  車で約20分
遠野駅前から  車で約40分
釜石駅前から中村行きバス
中村バス停下車 徒歩で約10分
法冠神社[ほうがんじんじゃ]
中村判官堂から東に約15km程行くと国道45号と交差します。国道45号は江戸時代の浜街道に相当します。この交差点を北に800mほど行き右折すると、片岸町第10地割、室浜集落へ向かいます。室浜集落の東側の山裾に法冠神社があります。
義経一行は中村判官堂から北に向かう際に、大槌にある代官所を避けて船越(現在の山田町)に直接舟で渡るため室浜の山崎家に寄ったそうです。山崎家ではその記念に法冠神社を建立しました。この神社は明治20年に焼失してしまい、その後、石の祠となっていました。現在のブロック・モルタル造りの祠は昭和47年頃に建てられました。
法冠神社
地図 法冠神社へのアクセス
釜石駅前から  車で約20分
鵜住居駅前から  車で約10分
番外編1〜義経の家来〜
釜石市内には上記のほかに義経の重臣・亀井六郎を祀った亀井大明神があります。三陸鉄道唐丹駅から国道45号を南へ200m程行くと天照御祖神社があり、亀井大明神はその境内にあります。神社縁起は以下のようになっています。

--- 文治4年、常龍山河東家に寄宿していた修験者が病で亡くなり、神社の東北隅に葬られた。彼の携帯していた剣1本、笈1脚、奇石1個(縄文時代から弥生時代の独鈷石)は遺物として蔵された。その数ヵ月後、その修験者を旅人が訪ねてきたところ、訃報を聞き嘆いたが、河東家が修験者を手厚く葬ったことに感謝し「薬草の秘薬一種」と「特殊祈祷一種」を伝授して去った。---

修験者は亀井六郎、旅人は義経の家来・日立坊海尊といわれています。 その後、亀井六郎の墓は大きく修復され「大徳塚」と呼ばれていましたが、津波等により破壊されたらしく現在は残っていません。
なお、本郷集落にある
大杉神社は日立坊海尊の来訪に由来して建立されたといわれています。
地図 亀井大明神(天照御祖神社)へのアクセス
釜石駅前から  車で約20分
唐丹駅前から   徒歩で約10分

大杉神社へのアクセス
釜石駅前から  車で約20分
唐丹駅前から  車で約10分

番外編2〜義経の頃の遺跡〜
釜石市には12世紀後半から13世紀前半頃のものとして2つの遺跡が確認されています。
この2遺跡から出土した資料は釜石市郷土資料館で展示しています。

 1)川原遺跡[鵜住居町第13地割]
   かわらけや常滑・渥美といった陶器、中国産磁器と共に武具や漁具、鉄鍋など鉄製品が多量出土しました。

 2)大天場山遺跡[八雲町]
   常滑・渥美といった陶器が出土し経塚の可能性もあると思われます。現在は公園になっています。
   遺跡のそばには八雲神社(建久2(1193)年完成)があります。
地図 川原遺跡へのアクセス
鵜住居駅前から  徒歩で約5分

大天場山遺跡へのアクセス
釜石駅前から  車で約5分


もどる