その2 |
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平成15年2月
「小川アーチ橋 ライトアップ事業」より |
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アーチ橋梁 |
【所在地】 |
釜石市甲子町第14地割(1号橋) |
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釜石市甲子町第15地割(2号橋)
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【構 造】 |
レンガアーチ・橋台部花崗岩積 |
【指 定】 |
昭和55年市指定 |
【文 献】 |
釜石市1965『社線86年の歩み』 |
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岩手日報2003『近代化遺構を歩く』 |
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アーチ橋梁へのアクセス
釜石駅前から |
車で10分、 |
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バスで10分
(小川バス停で下車、1号橋までは徒歩5分、2号橋までは徒歩15分) |
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1…大橋高炉跡、大橋鉱山 2…砂子渡銭座跡 a…大松レンガ橋脚
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市指定文化財アーチ橋梁は、小川川にかかる上の橋の200m上流(1号橋)と小川小学校前(2号橋)の2箇所あります。 |
<1号橋>
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<2号橋>
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総長4.8m、総高4.5m、幅6.9m
花崗岩の基部の上に21段の赤煉瓦
(イギリス積※) |
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総長9.9m、総高5.68m、幅11m
花崗岩の基部の上に35段の赤煉瓦
(イギリス積※) |
※イギリス積については こちら |
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釜石市内にはかつて、日本で2番目に着工され、3番目に操業を開始した、工部省鉱山寮釜石鉄道が走っていました。 |
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本線 官営釜石製鉄所―大橋鉱山 現在の国道283号
支線 製鉄所−小川製炭所 現在の市道桜木町・上小川線 |
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計 画:明治7(1874)年 鉄道寮傭英国人建築技師 C・セッパレト
起 工:明治8(1875)年 鉄道寮傭英国人 G・パーセル 鉱山寮釜石支庁主任 毛利重輔
竣 功:明治13(1880)年2月
供用開始:明治13(1880)年8月 |
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小川支線は、高炉用燃料の木炭を小川山(わらびの)にあった小川製炭所から製鉄所へ輸送していましたが、明治13(1880)年12月の製炭所の火災を機に、15(1882)年3月に乗客や貨物の輸送も開始し、「おかわ」駅が設置されました。釜石―小川間の運賃は、1等20銭、2等8銭でした。
明治16(1883)年4月には製鉄所廃業に伴い、機関車とレールは、藤田伝三郎の阪堺鉄道に売却され、敷地と橋梁は県に移管されました。
小川支線には4〜6箇所の橋梁があったとされていますが、本アーチ橋梁は所謂カルパート(暗渠)であるため、その中には含まれないものと考えられます。 |
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釜石鉄道のうち、現存する橋梁は本橋梁の他に、釜石鉱山に移設された一の渡のカルパート片と、大松にある橋脚だけとなっております。これらの橋梁のレンガの産地はわかりませんが、一の渡のレンガに「U」字の刻印が見られます。 |
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まめちしき 〜レンガの積み方〜 |
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【イギリス積】 |
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【フランス積】 |
レンガを長手だけの段、小口だけの段と一段おきに積む方式。 |
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レンガの長手と小口を交互に積む方式。 |
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