その1 | ||||||||||||||||||||
橋野高炉跡 | ||||||||||||||||||||
【所在地】釜石市橋野町第2地割 【立 地】鵜住居川支流二又沢右岸の緩傾斜上 【広 さ】南北約400m、東西約110m、面積1.574ha |
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橋野高炉は、南部藩士大島高任が、安政5(1858)年に仮高炉 (のちに改修され3番高炉)を建設したことから始まります。その後、安政6(1859)年に橋野の専任技術者として赴任した田鎖仲と田鎖源治が万延元(1860)年かその翌年に1番高炉、2番高炉の2基を完成させたと考えられます。 明治元年には製鉄事業と鋳銭事業を藩直営のもと兼営していましたが、実際は小野権右衛門(井筒屋)の出資のもと経営されました。明治2(1869)年に政府の指示により銭座は休止となり、明治7(1874)年の官営釜石製鐵所事業にももれたことから、民営のまま3番高炉は操業を続け、明治26(1893)年まで稼動しました。 昭和30(1955)年、31(1956)年に岩手大学教授森嘉兵衛、板橋源氏により発掘調査が行われ、昭和32(1957)年6月に国指定史跡となり、昭和59(1984)年にはアメリカ金属協会から歴史遺産賞を贈られ、国内外から高い評価を受けています。 |
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