その16.釜石線開業70周年記念に寄せて
令和2年6月30日

釜石市郷土資料館 館長 村上 修

 前回のコラムから早くも3ケ月が過ぎました。次回の話題は「SL銀河」で、と考えていましたが、コロナ禍により楽しみにしていた「SL銀河」は運休を余儀なくされています。残念ですが致し方ありません。それでも、郷土資料館のすぐ目の前を走るJR釜石線と三陸リアス線は、コロナに負けず、ダイヤ通りキッチリ運行しているのには頭が下がる思いです。が、どの列車を見ても、かなりの空席が目立つのは残念です。
 ところで、今年の10月、釜石線は開業70周年を迎えます。その釜石線を走る列車の中ににいつも注目している列車がありまして、それは、釜石〜花巻〜盛岡を3往復している快速「はまゆり」です。ローカルな“快速”には珍しく3両編成で、しかも指定席車を連結しています。使用されている車両キハ110系が当初、急行「陸中」に使われていたことを考えると、快速「はまゆり」は、国鉄急行の流れをくむ、由緒正しい列車と言えます。JR各線で急行が廃止されて久しくなりましたが、急行列車の面影を感じられる唯一の列車がこの快速「はまゆり」というわけです。


釜石駅を出発して甲子川をわたる快速「はまゆり]
(写真:筆者)


仙人峠を越える快速「はまゆり」
(写真:筆者)
 そこで、今回は、かつて、国鉄全盛時代に釜石線を走っていた懐かしの急行列車「陸中」について述べたいと思います。
 釜石線を最初に走った優等列車「はやちね」で昭和34年7月に誕生しています。当初は準急として運行開始。車両は準急用気動車のキハ55・キハ26だったようです。その後クリーム色に窓周りに赤い帯を配した急行用キハ58・キハ28の58系気動車が昭和36年に製造されると、全国に気動車急行網が張り巡らされました。
 釜石線優等列車の代表格が、そのキハ58・キハ28の「陸中」です。今となっては懐かしい響きです。
 昭和36年10月、上野〜盛岡間を常磐線経由で運転する初の気動車急行が、行先の旧国名をとって「陸中」と名付けられました。
 同年12月、この列車に宮古行きの付属編成が連結されて、花巻駅で分割(併合)の後、釜石線を経由して山田線宮古駅発着となりました。これが釜石線を走る伝説の列車「陸中」の誕生です。ただし、釜石線・山田線は“準急”として運行されました。

 さらに同40年、「陸中」は宮古行き準急と盛岡行き急行となります。この時代は、釜石駅から乗り換えなしで上野駅まで行くことが出来る直通列車が走っていたのです。嘘のような本当の話です。
 ちなみに、昭和39年10月1日改正の『国鉄監修 交通公社の時刻表』で、当時の運行を見ると、〈下り〉上野発740→水戸発921→仙台発1318→花巻発1540*盛岡行きと分割*盛岡発「はやちね2号」と併合→遠野発1637→釜石発1733→宮古着1903 〈上り〉宮古発1113→釜石発1244→遠野発1344→花巻発1449*盛岡発と併合→仙台着1710→水戸2101→上野着2240 となります。
 なんと釜石〜上野を約10時間要しています。


鬼ヶ沢橋梁を渡り遠野方面に向かう急行「陸中」
(写真:山口京三氏)


釜石駅に停車する急行「そとやま」
(写真:「岩手沿岸の昭和」より)
 すごい!と、いうことで話がだいぶ長くなってきましたので、今回は、このへんで、いったん終了とします。次回も、引き続き釜石線の急行列車について話を進めていきたいと思います。