藩境印杭 教育委員会 生涯学習スポーツ課
文化財調査員 森 一欽
石塚峠の印杭 郷土資料館にあるこの木の杭は、もともと旧浜街道の南部盛岡藩と、伊達仙台藩の藩境である石塚峠に打たれていました。浜街道の藩境印杭は峠の東西の高台に1本ずつ打たれていたようですが、資料館所蔵のものはその西側のものです。藩境印杭は、寛保元(1741)年、宝暦13(1763)年、天明4(1789)年に建替えされており、この杭がいつのものであるかは現在のところ不明です。
石塚峠の印杭(杭抜きとり前) 南部盛岡藩と、伊達仙台藩は、天正19(1591)年の豊臣秀吉による奥州仕置※から、藩境が接する事となりました。
それから約70年間藩境の争いは続きましたが、最東端の海境も万治元(1658)年に桐ヶ作を境とすることが確定しました。市内には、当時の藩境を記した絵図が残されております。
※ 東北地方を平定した秀吉は、伊達氏を米沢から仙台へ転封させたり、葛西氏を取り潰しにし、東北の安定を図りました。
現在の藩境付近の地図
南部領平田村仙台領唐丹村境絵図(釜石市指定文化財・個人蔵) 藩境となる平田村(南部盛岡藩側)と、唐丹村(伊達仙台藩側)にはそれぞれ、御番所が設置されました。
南部藩平田御番所跡 仙台藩本郷御番所跡 なお、本郷御番所と石塚峠の間には、七里塚があります。
藩政時代の唐丹村